「おまえも早く寝ろよ」と妻を労うYさん
松戸なのはな訪問看護ステーション 菊池 静華
Yさんは82歳、胃がん、前立腺がんの男性。80歳になる奥さんと二人暮らし。近所に娘さんが住んでいるということで、去年、市内に引っ越してこられました。引っ越してしばらくは元気で生活されていたのですが、次第に具合が悪くなり、たまたま奥さんが新松戸診療所の患者さんでしたので、相談し訪問診療が開始になりました。
●12歳で強制連行され日本へ
Yさんは、在日コリアン。12歳ごろ日本に強制連行で従兄弟と一緒に連れてこられたそうです。ずいぶん辛い体験をされたと思いますが、寡黙で昔のことはほとんど話されることはありませんでした。奥さんも、「いろいろあったけど…」と言葉を濁すばかりで、昔のことをあまり話したがりませんでした。
Yさん夫婦が結婚されたのは昭和21年。終戦後の混乱期で、日本が戦争に負けたことと、強制連行されてきた在日コリアンはその時点では日本国籍ではないということで、婚姻届を受理されず内縁関係のままで長年連れ添ってこられたそうです。その間60年あまり。いろんな苦労を重ねながら、Yさん夫婦は子どもを育て生活されてきました。
●がんが転移
「このまま家で死んでもいい」と言いながら訪問診療開始。訪問看護の導入も検討されましたが、2回目の訪問診療で強い呼吸困難を訴えられ、急きょ入院になりました。原因は心不全でした。心不全の治療中、ひどい貧血があり、貧血の原因は胃がんで、手術を受け、元気になって帰宅することになりました。
胃がんは進行がんで転移はありません。もともと前立腺がんもあり、治療を中断していたため、残念ながら転移しており、今後どのように病状が変化するのか予測ができない状態でした。新松戸診療所の訪問診療を受けながら、前立腺がんは近くの病院の泌尿器科管理となり、訪問看護も開始になりました。
退院当初はお元気で、尿道カテーテル留置されているもののトイレへも一人で歩いていける状況でした。当初は尿道カテーテルのトラブルがあるということで、毎日訪問する予定にしていましたが、実際にはほとんどトラブルもなく、毎日訪問から週1回にして様子をみることになりました。
●もっと話したかった…
9月に入り、下肢の痛みで痛み止めを使う回数が増えていましたが、訪問看護は経済的負担の心配もあって、訪問診療と交互の訪問になっていました。11月1日、奥さんから電話が入りました。「病院に連れて行くのに車椅子に移そうとしたが移せない。ベッドから崩れ落ちるように倒れてしまった。助けてほしい」と。
訪問すると、Yさんがベッドの横にうずくまっています。そして、左手首に包帯が巻かれています。「これは何か起きているな」。病状が進行して具合が悪くなっているだけではないことを感じさせる状況でした。
翌11月2日も具合が悪いとの電話で、訪問。尿も充分出ておらずぐったりした様子のYさん。聞くとリストカットをしたのだそうです。病状の苦痛もさることながら、「周囲に迷惑をかけてまで生きていたくない」との価値観を持っていたYさんの結論だったように思います。その処置のために病院に連れていこうとして、前述のような事態になったという奥さんの話でした。急きょ往診してもらい点滴、麻薬の使用も開始し、苦痛をとっていくよう援助をしました。
11月3、4日も点滴を実施。麻薬の効果で苦痛はずいぶん軽減されたようでしたが、11月5日早朝、自宅で奥さんと娘さんに見守られて静かに息を引き取られました。亡くなる前日の最後の言葉。仕事を休んで付き添ってくれた娘さんには「もう家に帰ったのか?」、奥さんには「お前も早く寝ろよ」と、最後まで奥さんと娘さんを労う言葉だったそうです。
Yさんは苦労や恨み言などまったく話されることはありませんでしたが、亡くなられた後に訪問させていただいて、奥さんから「言葉では言い表せない苦労の連続だった」というお話を聞いて、日本が戦争加害者であること、被害者は日本の国民や侵略を受けた国の人々だと実感しました。
9月に民医連の平和ツアーで韓国に行ってきましたが、そのときに見た韓国での抗日運動の歴史や日本が犯した罪についてあらためて知り、Yさんともっと話してみたいと思っていました。でも、何から話したらよいのか、その糸口すら見つけ出せないままYさんは旅立っていかれました。いま国境のない世界で、故郷のご両親や兄弟とようやく再会を果たされていることと思います。
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