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協同組合報vol.45

この人に聞きたい(32)

自分が納得できる人生を

新松戸診療所所長
三浦聡雄さん


 三浦先生に原稿をお願いしたところ、インタビュー形式で寄稿してくださいました。

写真
新松戸診療所のスタッフ(左端が三浦所長)

働きやすい勤医会の診療所

 ――勤医会に勤務されてみて印象はいかがですか?

 2年前から、あびこ診療所おおくぼ戸山診療所等に勤務し、昨年8月からは、新松戸診療所に勤務を集中して所長になりました。いずれもベテランの看護師さんや事務職員がいて、しかも、家族のようにまとまっていて働きやすい。使いにくい電子カルテシステムが無いのも助かります。皆さんに温かく迎えていただき感謝しています。
 あびこ診療所に勤務した頃は手賀沼の自然や我孫子周辺の町を知り、おおくぼ戸山診療所では韓国通り等を初めて知りました。

見かけは“いまいち”でも
 中身は充実した診療所をめざして

 ――新松戸診療所についてはどうですか?

 新松戸駅から3分と立地条件がよく、同じ建物に歯科、メンタルクリニック、訪問看護ステーションがあるので便利ですね。ひいらぎ薬局もすぐ近くです。石田、内田、戸倉先生など、歴代の所長が活躍されて、地域の信頼もあります。民医連新聞にも出ましたが、中断患者、保険証の無い患者、生活苦の人々に寄り添い、相談に乗り、国保減免等のために共に闘う姿勢は新松戸診療所の誇りです。
 外来患者数や経営内容もまあ合格点でしょう。厳しい時代に、ほぼ予算目標を達成して黒字を維持しています。それだけに、若く元気な戸倉先生から熟年の私に交替して赤字になるのではと心配しました。これまでのところはなんとか順調でホッとしています。
 特別な企画として、「ハッピイ、はっぴい」というデイサービスのひな形のようなものや、お花見会、クリスマス会、ミニ医療講座等があります。地域の新松戸祭りにはテント小屋を出して血圧測定や健康相談をやっています。学習研修の強化、日常診療のレベルアップを目指して、インターネットの医療情報活用を始めました。
 建物は、かなり年季の入ったものです。ひび割れた看板があり、先日も天井から水漏れが発生しました。原因は解明され、直せるようですが……。ただ、今の情勢の下で東葛病院の増改築等もあり勤医会の資金計画も楽ではない。すぐに大金投入はできない。診療所の建物や設備をいつ頃どう手当てしていくかは研究課題です。

健康診断と往診の新松戸診療所

 ――健康診断と往診を重視しているということですが?

 特徴としては、健診の多さと往診の発展が挙げられます。健診は、年間を通して受けられる松戸市民の健診数が多く、土建組合や民商、新婦人も多い。それに、事務長が地元商店会の役員を務めて幅広い人たちと交流し、健診拡大・新患増加にもつながっています。
 今が健診の最盛期で、インフルエンザの予防注射も重なって大変ですが、稼ぎ時だから頑張らなくちゃね。数が多いので検体の間違いや記入漏れ等のミスに気をつけていかなければなりません。また、2008年の健診制度変更に注目、後退させない運動も大切です。

在宅支援診療所の取り組み

 ――往診では、4月から在宅支援診療所の認可を受けましたね?

 基本的には火曜午前と水曜午後の定期往診という形です。入退院、死亡や新規患者等、毎月数が変動しますが、大体三十数件を月2回往診しています。往診圏が南柏、流山、新松戸、馬橋と結構広い。同じ方面だけまとめて行けば良いが、重症者が増えて毎週行くことになると、半日であっちこっち行くので移動に時間がかかります。
 在宅支援診療所は365日24時間医師が対応する義務がある。看取り等実績の報告も必要で大変ですが、経営的にも大違いなので頑張って取っています。東葛病院医局のバックアップ、「なのはな」や「豊四季」訪問看護ステーションの協力を頼りにしています。旅行に出るときは、戸倉先生にも事前にご援助をお願いします。
 軽い話は電話で対応できるし、重症や急変の患者は、どっちみち往診で十分な対応はできない。救急外来受診や入院を指示することになる。このとき、親病院の東葛が救急を断らず、必要なら入院させてもらえる。診療所にとって何よりも心強く有難いことです。
 患者の急死があり、私の到着が遅くなるので、相沢先生が往診、死亡確認していただいたことがあります。戸倉先生にも急死の死亡確認をしていただきました。また、肝癌末期の消化管出血で東葛へ救急受診させた患者が、元々の主治医のいる新宿の女子医大まで転送入院になりました。後藤先生が長時間救急車に同乗してくださいました。3人の先生方と医局、東葛病院のご努力に感謝しています。
 実際に私が臨時に出動したケースは、予想外の死亡確認も1例ありましたが、ほとんどは末期患者の看取りです。いよいよとなったら臨時往診や訪問看護を増やし、度々電話して家族の相談にも乗りながら、状況を予測して対応します。この時ばかりは休日・深夜、勤務時間外に出動し私的な予定を犠牲にすることもあります。東葛医局からの応援システムもあるのですが、ずっと診た人の最後はできれば自分でという気持ちもあります。まあ、今のところ年中あることでもないし……内心、増えすぎないように願っていますが。
 この1年の特徴的な出来事は、一つは、近辺に新設されたグループホームからの往診依頼です。入所されるたびにうちの往診患者になっています。もう一つは、癌患者の往診が増えていることです。

癌の看取りは有意義でやりがいのある仕事

 ――癌患者の往診が増えているのですか?

 柏の国立がんセンター東病院の緩和ケア病棟が満杯なのです。本人の希望もがんセンターの都合もあり、在宅に送り出したいのだが、大変な患者なので受け入れる施設が少ない。今年の6月28日、東葛付属診療所で、がんセンターの医師たち、ソーシャルワーカーと、戸倉先生や濱砂先生等、東葛病院・付属診療所のスタッフたちとの話し合いがありました。私も参加しましたが、先方も意欲的で、お互いに連携協力を深めていこうということになりました。
 去年4月から今年3月までの1年で、新松戸診療所の癌の往診は1名だけで、夏頃がんセンターから紹介された肺癌患者でした。最後はがんセンターに再入院して亡くなられました。
 今年は、4月から今まで約8ヶ月で、8名の癌患者の往診、緩和ケアに取り組んでいます。内訳は、子宮癌、尿管癌、咽頭悪性リンパ腫、肝癌2名、前立腺と胃の重複癌、直腸癌、胃癌で、全て多臓器への転移のある末期のケースばかりです。そのうち4名ががんセンターから、1名が慈恵医大柏病院から、1名が新宿の女子医大から、1名が東葛病院から、1名が治療を中断していて家族から、それぞれ依頼されて往診しました。8名のうち6名が死亡され、往診開始から死亡まで平均約2ヶ月です。うち3名は、家族が看きれないとか消化管出血とかで入院死亡、3名は在宅で看取りました。
 毎日電話して麻薬の使い方を指示する等、患者さんの苦痛軽減、安楽な最後、家族の納得のために努力しました。点滴、MSコンチンやオプソ内服液、デユロテップ・パッチ等のモルヒネ系麻薬のコントロールや本人・家族との時間を取った話しあい等が中心的な仕事になります。ご家族にも感謝され、やりがいのある仕事でした。家族の理解と覚悟など家で死ぬための条件、患者や家族の最後まで揺れる心理、多様な家族のあり方等多くのことを学んでいます。
 ある男性は、妻と息子夫婦、娘夫婦、招かれた私と、69歳の誕生パーティーを開きました。本人は途中から横になり、ときには転移のある仙骨部の痛みに顔をしかめたりしながら、それでも、笑いの多いパーティーでした。その10日後に彼は旅立って行きました。

熟年医師の生きる道

 ――先生は、自分史や小説を書きたいとか、いろいろやりたいことがあるそうですね。個人的な総括と展望はどうですか?

 「理想を忘れずに、目標を見失わずに」……高校卒業の時アルバムに書いた言葉です。幸運に恵まれ何とか志を持続できた私は幸せ者です。山や川で遊び回った小学生時代。貧乏だけど楽しい下宿生活を送ったラサール中高時代。器械体操でインターハイや国体に出場、うぶな恋愛も味わった。1963年に大学入学。映画「非行少女」や「キューポラのある町」を見て涙を流し、中国の革命文学に感動して学生運動へ。原潜寄港反対や全学連再建、ベトナム侵略反対の闘いやインターン闘争、東大闘争を経験した。卒業後は、柳原・蒲原・三郷での地域医療づくりとみさと健和病院建設に取り組んだ。水俣診療所への出向も水俣病を学ぶ貴重な体験でした。
 生来好奇心の塊。「楢山節考」を読んで深沢七郎さんを訪ね親しくなったり。家族でキャンプに挑戦したり。月刊「プレイボーイ」のインタビューからナベサダの人柄に惹かれジャズに開眼したり。
 1975年アメリカ、1980年ヨーロッパのリハビリ医療の視察。翌年、生まれ故郷台湾を訪ね生家とも対面(私が満州で生まれたら残留孤児になった世代)。1994年末から2ヶ月間、アジアの5ヵ国を訪ね、インドのガンジーの弟子やマザーテレサ、タイのプラテイープさんや山岳民族、バングラデシュやミャンマーの医師たち、ベトナムの青年にも出会えた。2000年、バングラデシュにつくったECOH診療所訪問など……思い出深い旅の数々。
 川上武先生のご援助で、『東大闘争から地域医療へ』(勁草書房)、『今日の外来診療』(医学書院)を出版。充実した人生で、先輩や友人、家族、神様・仏様にも本当に感謝しています。もういつ死んでもあまり悔いはない。いざとなれば少しはジタバタするかも知れませんが……まあ、残り時間も精一杯生きようと考えています。
 ただ、人生で何かを得るということは何かを失うということです。何かを捨てて何かを得るべく4年前にギアチェンジ。医者の勤務は少し減らし、前からやりたくてできなかったことに挑戦中。新しい課題に全力投球してもいいのですが、町医者の仕事が好きで、やっぱりお金も欲しいので中途半端になるのも仕方ありません。
 まず、何をするにも体力づくり。診療所や駅から自宅まで一時間位を歩いて帰っています。次に、親孝行。ちょいちょい鹿児島へ帰省。車を借りて86歳の母の望み通り、温泉や親戚知人宅へ向かう。
 一番やりたいのは、小説を読み、未熟でも、短編や自分史みたいなものを書いてみること。それで創作教室に通うが亀の歩みです。外国語をもう一つと中国語の学習もボチボチ進んでいます。他にも、もっと世界中旅行もしてみたい。失敗を恐れず、自分が納得できる人生を生きていこうと思います。
 最後に「路傍の石」から一句。
 「たった一人しかない自分を、たった一度しかない人生を、本当に生かさなかったら、人間生きて来た甲斐がないじゃないか」



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