内野さんの声は心地いい。すきとおっていて、温かい。聞けば歌うことが大好きで、小学校時代から合唱クラブで鍛え、大人になってからは歌声サークルなどで活動してきたという。その天性の声色に民医連看護で培われたしなやかさ、温かみがプラスされているのだろう。せちがらい世の中、人を癒すこんな声がもっと増えるといいのに…。
北海道勤医協から代々木病院へ
私は北海道の苫小牧で生まれ育ち、苫小牧の看護学校を卒業して苫小牧市立病院に入職しました。ですから、最初からの民医連育ちではありません。民医連に入ったのは、病院をつくる運動が実って勤医協苫小牧病院ができ、そこに入職してからです。毎日が充実していて、「ここで最後までいられたら幸せだな」という気持ちでした。医師や事務とも何でも話し合うことができ、信頼関係があって、安心して看護展開ができた。北海道は労働条件は厳しかったんですが、一つひとつにこだわって、意見が合わないと夜な夜な論議をするといった気風があるんです。
それがなぜ代々木病院に来たかって? 夫が旧国鉄職員で全動労の組合員。民営化で首切りにあい、JR東日本で採用になったため、一緒にこっちに来たわけです。それで当時代々木病院にいた元勤医会看護部長の矢幅さんから声をかけられたんです。じつは矢幅さんとは縁の深い関係で、矢幅さんは同じ看護学校の5年先輩、苫小牧市立病院でも先輩でした。
とはいえ、同じ民医連といっても気風も組織文化も違いますから、最初は辛くてね。でも、北海道の先輩たちから教えられたことが常に気持ちの中にあった。それは、どんなに困難なときでも、どんなに困難な場所でも、どうやったら楽しく仕事ができるかを追い求めること。それから、何があっても「民医連は一つ」を見失わないこと。
患者さんから学んだ「こだわること」の意味
東葛病院の最後の看護師長会でも話したんですが、「何にこだわって看護をするか」という自分のこだわりを持つことが大事です。「私は今、こういうところにこだわっています」と言える看護師になってもらいたい。こだわりを持たないと、流されてしまいます。
「こだわる」ことの大切さを気づかせてくれたのは一人の患者さんでした。ある冬、高血圧症で通院していた患者さんが来なくなりました。電話をかけると、「じつは保険証がなくて行けなかったんです。来週保険証が来るので行きます」とおっしゃいました。北海道は冬が長く、季節労働者は保険証が一時切られるのだそうで、その患者さんも保険証が切れていたんです。ところが、保険証が来る前にクモ膜下出血で突然亡くなってしまった。私たちは「気になる患者さん」として気にかけていたんです。それなのに手遅れになってしまった。本音のところでつながっていなかったと思い知らされました。
こういう人を出さないためにはどんな看護をすればいいのか。患者さんの事実をつかむためには何が必要なのか。そこにこだわって、真剣に追求しなければ、と当時の看護師集団で話し合いました。
私は代々木病院と東葛病院を入ったり来たり(笑)。代々木病院では訪問看護室を立ち上げ、訪問看護ステーションができるまでの基礎の5年間をつくってきました。東葛病院には看護学生担当ということで97年に異動となり、その後、いったん代々木病院に戻り、2年前にまた東葛病院へ今度は病棟看護師長として異動に。行ったり来たりで大変な面もありましたが、看護学生担当をしていた時の学生達が中堅になっていて支えてくれ、とても心強く、頼もしかったです。いろいろ経験できたことは幸せでした。
総看護師長というのは自分に合わないような気もしますが、これからも「こだわる」を大切にしてやっていきたいと思います。 |