みさと協立病院の事務長時代、中川さんは「ぼくは幸せな事務長です」と言っていた。病棟の再編を終え、経営的にも黒字になるいい時期に事務長になったからだ。「幸せ」と表現する事務長に初めて会って、こっちはびっくりし、「ムーミンパパのような人だ」と思った。そんな“ふうわり”とした中川さんが、今度、法人の事務局長として全体をひっぱっていく立場になった。彼の個性がどう生かされるか、とても楽しみだ。
人間は変わる、成長する
ぼくは広島県出身で、祖父母は原爆投下直後に救援で入市した第二次放射線被爆者です。そのときの話を聞かされて育ったので、物心つく頃から、平和主義者でしたね。日本社会事業大学を卒業して代々木病院にケースワーカーとして入職しました。その後、精神科専任のワーカーになり、当時、故石田先生が頑張っておられて、一緒に家族会や患者会にかかわりました。たとえば、ひどいアルコール依存だった患者さんが酒をやめ、立ち直っていくんですよ。そういう姿をまのあたりにして、人は変わる、成長するということを実感した。人間の見方がすごく深まったと思います。患者さんやご家族に教えられ、鍛えられ、育てられてきたと思っています。
代々木病院の精神科は1980年、群馬大学から中沢先生を迎え、26床の混合病棟ができ、翌81年、念願の精神科病棟(32床)ができました。86年、旧みさと協立病院に精神科病棟が移ることになり、ぼくも一緒に異動になりました。それ以来、2年ほど東葛病院に勤めたこともありますが、大半は三郷。だから、かれこれ20年近くになります。ワーカー兼任の次長時代が長くて、事務長になったのは2002年4月です。病棟再編が終わって経営的に安定してきた時期でしたので、いつも言うんですが、時々相談の仕事もできたりして、ほんと「幸せな事務長」でした。
まわりに心配されて支えられて、ここまで来た
ただ一番幸せだったと思えるのは、ワーカーの仕事をずっとやらせてもらったことです。他の人と比べると、ずいぶんいい思いをしてきたと思う。法人の事務局長という役割がどういうものか、まだよくわかりませんが、ワーカーとして培ってきた経験と持ち味でやっていくしかないなと。
中沢先生によく言われたんです、「精神科のワーカーはネックレスのひもなんだよ」と。ネックレスの玉ひとつひとつを結んでいるひもは、外からは見えませんが、ひもがしっかりしていないと、バラバラに壊れてしまう。ぼくは「ひもでありたい」とずっと思ってきたし、事務局長になっても、そうありたい。
ぼくは先頭に立ってリーダーシップを発揮するタイプではない。むしろ「ちょっと物足りないけど、まあ応援してやるか」みたいな(笑)、まわりに心配されて支えられて、ここまでやれてきたと思ってるんです。今度はそんなことを言っていられないのかもしれないけど、自分の持ち味でやっていくしかない。どんどん指摘して、どんどんケツをたたいてください。よろしくお願いします。 |