心から感謝
――この間、東京勤医会と健友会との交流がすすめられてきており、「協同組合報」では04年1月号のトピックスで、「展望は連携の力で」と題して高津司・代々木病院院長に健友会との交流の意義について語っていただきました。その高津先生が6月1日、健友会理事長に就任し、同日、健友会が「協同組合 医療と福祉」に加盟、両法人の連携が具体的な形で大きく動いてきています。
今回は健友会の入江専務理事に初登場を願い、中野共立病院の建て替え問題や健友会のことについて思う存分語っていただきたいと思います。
★お手やわらかに(笑)。どちらかというと、口べたですから。
高津先生の理事長就任がいよいよ実現し、東京勤医会・代々木病院と健友会・中野共立病院が協同して東京区西部地域の医療に責任をもつ体制を具体的に一緒につくっていく、という段階に踏み込んだのではないかと思います。
今、都心部の中小病院は、単独では展望をもつことができにくくなっています。中野共立病院も2、3年前までは、いわば「自己完結型」の医療をめざしていました。内科も外科もそろえ、手術もやって、どうしてもだめな場合は転院していただくという形をとっていたわけです。それが今は、診療報酬上の問題、外科手術の減額の問題、医師体制の問題など、あらゆる面で困難をきたすようになってきています。
たとえば外科でいえば、手術件数が年間何件なければいけないとか、医師の資格要件が厳密になってきていて、それは今後さらに強まることが予想されます。
――中野共立病院の建て替えはどんなふうにすすんでいますか?
★中野共立病院の建て替えをどうするかがここ数年の最重要課題でした。当初は移転して建て替える道を模索し、4年ぐらい土地探しをしました。が、結局見つかりませんでした。それで現在地での建て替えに方針を転換したたわけですが、今度は、一気にやるのか、二期工事、三期工事と段階を踏むのかという問題が浮上しました。一気にやるとなると、その間の職員をどうしたらいいのか。二期工事、三期工事ならばどうか。シミュレーションしてみると、いずれも経営的な負荷が大きすぎて、不可能と出ました。
大変悩みました。結局、東京民医連で検討していただいて、東京民医連として職員の受け入れ体制、協力体制をとっていただけることになり、全ての病棟を閉鎖して一気に建て替えるという道が実現できる運びとなりました。
一気に建て替えをやるのは東京民医連では初めての経験です。他の県連からは「そんなことが可能なのか」という声があがっているようですが、これが可能になったのは、ひとえに、東京民医連の各法人に職員を受け入れていただくことができたからです。特に東京勤医会は、医師も含めて30人受け入れてくださいました。全体で80人のうちの30人ですから大変な人数です。
今はどの法人でも医療経営、とくに病院経営は大変な時代です。そういう厳しい中で、東京民医連は、それぞれの法人の単独の課題ではなく東京民医連全体の課題だというとらえ方をし、その第一号が中野だという位置づけをしてくれ、それによって展望を見出すことができたわけです。とりわけ東京勤医会はその先頭に立ってくれました。こうした民医連ならではの連帯がなければ、私たちは行き詰ってしまったでしょう。心から感謝し、健友会が逆の立場になったときには率先して連帯したいと改めて意を強くしています。
合わせて260床、可能性がひろがる
――「協同組合報」で高津先生は、「連携することでお互いの困難を補い合うことはもちろんですが、それだけにとどまらず、新しい条件と展望を切り開いていけるような医療連携、機能分担にしようではないかと議論している」とおっしゃっていましたが、医療連携、機能分担は具体的にどうすすんでいますか。
★代々木病院は外科機能を含めた急性期病院としての機能を強化する、中野共立病院はより地域密着型に移行し、在宅バックアップ機能を高める、という方向ですすんでいます。中野共立病院は建て替えを機に134床から110床になり、内科一般と療養型の2病棟となります。外科機能は代々木病院に移行しました。代々木病院が150床、中野共立病院が今度110床、それぞれ中小病院の限界がありますが、合わせれば260床です。この260床を活用し、東京区西部地域の医療をどう展開するかとなれば、可能性が広がります。新しい中野共立病院の医療構想については、医師から紹介する機会を提供していただければ、よりわかりやすいお話ができると思います。
さらに、「協同組合 医療と福祉」に加盟したことも大きな意義があります。協同組合ですから、協同していろいろな事業を展開することができるし、経理業務、総務業務などの実務もより合理的にできるようになります。事務長が実務に忙殺されているのが現状ですが、それが軽減されることにもなる。管理者が実務に忙殺されていると、どうしても内向きになってしまいがちです。地域に出かけていく時間も保障できるようになると思います。
古い歴史にあぐらをかいてはいられない
――中野、杉並にある診療所や中野共立病院は古い歴史をもっていますが、その特徴をお教えください。
★健友会は1999年4月1日、杉並区の健友会と中野区の中野勤労者医療協会が法人合同して誕生しました。それぞれ古い歴史をもっていて、開設年月でいうと、中野では城西診療所が1949年2月、江古田沼袋診療所と川島診療所が1950年3月、杉並では西荻窪診療所が1950年4月と、戦後すぐに誕生した診療所が多いです。城西診療所は、民医連第一世代の木俣先生という江東診療所にいらっしゃった先生が研修したという診療所です。
中野共立病院は1963年6月、倒産した城西病院が中野共立病院(48床)となり、翌64年5月、医療法人財団中野勤労者医療協会が設立されました。取り壊し前の134床になったのは1983年6月です。
杉並では民医連の病院をつくることが長年の切なる願いでした。組合病院があったんですが、道路拡幅の関係で診療所となり、それ以来、民医連の病院がありません。病院が欲しいという要求が非常に強くて、80年代の終わりに西荻窪診療所を建て替えるとき、病院化が大きなテーマでしたが、実現できなかった経緯があります。
法人全体の構成を紹介しますと、常勤職員が260人、病院が1つ、診療所9つ、訪問看護ST4つ、ヘルパーST2つ、デイサービス1つ(区の委託で、小学校の空き教室を利用)、在宅介護支援センター1つ、ケアプラン専門の居宅介護支援事業所が1つ。介護事業所が計9つ、全体で19事業所となります。
健友会は、この9つの診療所を中心とした医療展開をしていることがもっとも大きな特徴です。事業収益の割合で見てみると、中野共立病院が35%、介護事業も含めて病院以外で65%であり、こういう構造は東京民医連の中でも珍しいです。
この地域密着度をもっと強めようというのが現在の課題であるわけです。というのも、今、診療所の往診患者さんが減っているのです。02年に610人だったのが、現在は500人を下回っています。100人以上も下回った要因はいろいろありますが、その一つは2002年10月の定率制の導入で、往診を受けるのが難しいという方が多くなりました。
それから、医療環境の変化があります。往診をする開業医が増え、特に30代、40代の若い先生が精力的に往診をするようになりました。往診専門の診療所もできています。
医療環境の変化にどう対処するかは私たちの課題でもあるんです。地域で私たちにしかできない医療サービスをどう提供できるか、介護事業所も含めた連携の中でそれをどうつくっていくかが問われているわけですが、それがまだ十分でないということが往診患者さんの減少に表れているのだと思います。
――営々として築いてきた健友会の歴史にあぐらをかいていてはいられないということですね。
★そういうことです。たとえば、窓口でお金を払った患者さんが「ありがとうございました」とお礼を言う光景がしばしば見られますが、お金を払ったほうが頭を下げるというのは他にあまりないんじゃないでしょうか。「利用していただいてありがとうございます」という気持ちを失ってしまうと、そこから後退が始まっていく。医療人の意識改革は大いに強調すべきことです。
一番大切なことは、地域から本当に頼りにされる医療機関になれるかどうかです。地域の人たちは、団体、個人を含めて様々な要望をもっています。子育てや年金問題など、医療問題以外の願いを共有してこそ初めて信頼関係が生まれ、頼りにされます。たとえば地域のお祭りがあるというとき、町内会や商店街との関係ができていないと頼りにされません。
こういう身近なことから信頼をつくっていく必要があります。「医療と関係ないんじゃないの?」と職員が思うことでも、地域の人は関係ないとは見ていません。地域あっての診療所であり医療であるということを肝に銘じ、まちおこし、まちづくりという視点で一緒に活動していくことが重要だと思っています。
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