ずっと在宅でやっていきたい
中野さんは自分から希望して在宅に飛び込んだ。男性の訪問看護師はまだまだ少なく、東京勤医会では二人目である。利用者さんに「男性はちょっと」と言われることもあるし、スタッフは全員女性、という中で苦労もあるにちがいないが、中野さんは気負いを感じさせない。自然体で、じつにいい感じなのだ。
カルチャーショック
大学在学中にカルチャーショックを受けたことがあって、考え方が変わり、それで看護師の道を選びました。ぼくは千葉県流山市で生まれ、野田市で育ち、高校は松戸市と、「東葛っ子」なんです。大学は地方の国立大学文学部に入学、旧制高校時代からの伝統を持つ寮に入寮しました。
演劇部に入って創作劇に夢中になっていたんですが、その寮の先輩方の中に何人か「バック・パッカー」がいて影響を受けました。バック・パッカーというのは、リュックサック一つで外国の安宿に泊まりながら旅をする人のことです。「ぼくにもできるかもしれない」と思い、大学を休学して日本を飛び出しました。フィリピン、インド、ネパールなどの東南アジア各国から中東、ヨーロッパと、1年ちょっと旅を続けました。
東南アジアで目の当たりにした貧しさは本当にショックでした。町の中に病人が座り込んでいたり、小さな子どもたちまでが物乞いをしていたり。中東では戦争が勃発していました。安穏としていてはいけない、何か人の役に立つような仕事をしたい……大学卒業と同時に看護の専門学校に入りました。
思っていた以上のやりがい
千葉の国立病院に就職して8年間働き、去年、そこを退職して東葛病院に入職しました。じつは退職したあと、違う仕事に就いたんです。看護の仕事にかなり疲れて、違う仕事もやってみたいと思ったわけです。自動車関係の仕事でしたが、仕事を変えてみて、やっぱり看護しかないと改めて気づき、1ヶ月でやめました。
東葛病院では最初から在宅を希望しました。国立病院では結核病棟にいたんですが、「退院したあと、どうするんだろう」と気になる患者さんがけっこういたんです。生活保護の患者さんで帰る場所もはっきりしないまま退院、という方も少なくなかった。
希望が通って、去年の7月にここに配属になりました。
訪問看護師になって、思っていた以上にやりがいを感じています。初回の訪問で「男の人はちょっと」「男だとよけいに気を遣っちゃう」と言われることもありました。初回の訪問はどうしても気を遣いますが、「信頼関係ができてしまえば男も女も関係ない」とぼくは思っているんです。どの人間関係もそうですが、お互い垣根が取れて、人対人になる瞬間がある。「受け入れてもらえたな」と感じたときは嬉しいですね。
今、「国保を良くする会」の活動に参加しています。最初は「なんで野田市民のぼくが我孫子の地域活動をやらなくちゃいけないんだ?」と違和感があったんですが、我孫子の国保を良くすることは社会保障全体を良くすることなんだと、そういうことがだんだんわかってきました。
ぼくは理想だけはあったのですが、何も知らないんです。この5月のメーデーに初めて参加、デモも初体験でした。東葛病院の院長、副院長がメーデー会場の最前列に座っているのを見て、衝撃を受けました。国立病院では考えられない光景ですから。民医連の活動に少しずつ染まってきて(笑)、訪問看護の仕事をやりながら地域の人たちのことを考えている自分……自然な感じがします。
大学時代の友達に「あのときは『なんで看護なんだよ』と思ったが、おまえは看護の道に入って正解だったよ」と言われました。自分でもいい選択をしたと思います。この3月にケアマネの資格も取りましたし、ずっと在宅でやっていきたいですね。
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