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協同組合法vol.22

読者のたよりから


新潟中越地震被災者へのご支援に感謝します
―皆様の励ましを力に現地の人達も頑張っています!―

           東葛病院 星野幸治

 昨年は度重なる台風・地震そして津波と自然災害が異常に多かった1年でした。特に新潟中越地震の時には、勤医会関係者の皆さんの物心両面でのご協力を戴きました。長岡生協診療所をセンターとした民医連の取り組みはすでに報告されておりますが、被災地出身者の一人としての立場から現地の報告をします。

 昨年10月23日夕方、突然の大地震に襲われた小千谷市(おぢやと読みます)は高校卒業までをすごした私の故郷です。テレビ速報でその惨状を知り、実家と連絡がとれたのは2日後で「みんな無事」との事でほっとしました。道路の復旧を待ち、毛布や携帯コンロ等を満載した自車で被災6日後に行って来ました。 

 長野―長岡経由で到着するまでの道路状況は陥没や崩落で大変でした。実家や全域に点在する親戚一同の安全を確認できた事は奇跡的とも思えます。余震を警戒しての避難生活が続いていましたが、私の親類は体育館等の大規模な避難場所ではなく、地域内のガレージやプレハブを借用した小村落単位での共同生活でした。被災者自身の粘り強さと地域共同体の結びつきの強さが救いであったように感じます。それにしても、そんな困難な生活状況にあっても見舞いに行った私達(妻も同行)の事を気遣うあの人達の優しさは何なのでしょうか? 改めて故郷を感じました。

 被災1ヵ月半後の12月中旬、“雪が降り始める前に”と再訪し、市内全域に散在する親類全て(山古志村に近い母の実家は無理でしたが)をまわって来ました。関越道も開通はしたけれどまだ不完全で波を打っていました。関係者の「全国からの温かい応援に応えなければ……」と疲れているそぶりも見せないで必死に頑張っている様子が今でも目に焼き付いています。従兄弟の一人は建築士で毎日休み無く働いており、残念ながらこの日も会えませんでした。(自分の手がけた家屋が対象のため、ほとんどボランティアに近い状態との事!)

 商店街の様子は取り壊された家屋で歯が抜けた状態で、まだまだ手つかずの半壊家屋が残されたままの寂しいものでした。新潟日報社が『特別報道写真集』を出版した事を聞いて、修繕中の書店に行き店主と立ち話をしましたが、「店は私たちの命、住居部分等はまだ手がつけられない状態。産業や雇用と生活基盤への行政(特に国)は無策だ……このまま死ねと言う事ですヨ!」と憤懣やるかたない様子でした。 

 被災地の現在は雪と闘っています。テレビ報道が少なくなりましたが、個人と一地方自治体だけでの力だけでは解決できない問題点が山積しています。医療や介護問題は特に「生活弱者」と言われる人々には深刻な問題となっています。

 政府による国家的支援は長期的に行われる必要があり、個人への生活・地場産業再建支援の方策も必要です。政府が強調する「自己責任論」やボランテア頼みではその責任を果たしているとは言えません。

 憲法九条を誇るべき国がアメリカの手助けの為にイラクで軍事力を行使し、膨大な税金を注ぎ込んでいる事は許す事ができません。「社会保障の充実や台風・地震被災者支援、インド洋大津波被災国への国際協力等もっと先にやるべき事があるでしょう!」と言いたい。唯一の救いは、全国的な民医連等民主団体の支援活動の継続(2回目の訪問日は民商さんが相談会をしていました)と住民の復興への気力でした。


41歳の看護学生
           勤医会東葛看護専門学校 2科2年 柳田雅彦

 外科の大野医師が入局した年、私は高校を卒業し看護助手として代々木病院の手術室に入りました。当時は中田先生、青柳先生が第一線、山川先生(茨城民医連)、新垣先生(北海道民医連)がいた時代で、83年の東京都知事選は最後の革新統一ギリギリで結ばれた松岡英夫候補で闘われました。そして、准看護師になり、勤医会初の男性で初めて内科病棟(旧東3階)に配属され、それからみさと協立病院の精神科、合同で東葛病院と移動しました。当時、中沢正夫先生、中村正樹先生を初め数多くの先輩に進学をすすめられましたが、結婚などで遠のいてしまいました。

 一昨年、ついに進学。平日も救急外来の当直を抱え睡魔とのたたかいの学生生活ではありましたが、その分、勉強も出来ました。図書室に昔なつかしい「代々木病院医報」があり、二木医師の水俣診療所支援、中田先生の権力にせまる法医学などの論文にはあらためて勤医会の先輩のすごさを感じました。看護学校の卒論は社会保障と診療報酬の問題に迫り、第2、第3次臨調の問題が明確になった思いです。

 今春、現場に復帰出来ましたら先輩の皆様と勤医会、民医連の医療思想、理念を維持発展させ若い人々に継承していく立場と思っております。春からは宜しくお願いします。


子犬がやってきた

           代々木病院 清田卓生

年末、うちに5人目の家族がやってきた。なまえはくるみ。
ウェルシュコーギーの雌犬である。
動物嫌いの妻も、1年がかりの長女の懇願に根負けした。

店員さんは「1週間はそとにださないで下さい」といった。
犬社会は群れを基本とする超封建社会。
自分がリーダーと思いこんでしまうと、とんでもない悲劇が訪れる。
妻のつとめる東葛病院には毎週のように、
「飼い犬に咬まれた」心優しい飼い主がやってくる。
サークル(檻)にいれることで、留守番に慣れさせ
この家の主人が誰なのかを理解させる。
そこから全てが始まる。

つらい一週間が始まった。
犬はアイコンタクトで喋る動物である。
「ぼくをここからだして」「こんなにおりこうなんだよ」
「さみしいよ」「あそんで、あそんで」
うるうるした瞳で見つめられると心がうごかされる。
でもここは弱みを見せてはいけない。

おトイレのシーツを咬むくるみをしかる。
おどおどするくるみ。
許しを請う目つき。心ささくれる。
でも、ルールを覚えなくてはいけないよ。
「もっとごはんちょうだい」
時間まで待ってね。

来週は思いっきり土手で走ろう。




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