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協同組合法vol.19

医者のつぶやき
ウンのいい診療所
はたがや協立診療所所長 園田 久子

 私は運勢や占いを信じている。ただ自分に都合のいいことだけしか覚えていない。あの「冬ソナ」だって「運命の輪」でむすばれていたじゃない。 

 結婚して初めての正月、今は亡き夫の父が私に「姓名判断では家族の中で久子さんが一番いいよ」といった。わたしの旧姓は“小坪”。実は私の母もそのころ生年月日と字画数での姓名判断に凝っていて、私の運勢はものすごくよく、“園田”姓になって「普通に落ちた」と嘆いていた。あまり人の気持ちを思いやらないそのころ(今でも?)の私は「前のほうがよかったそうです」とつぶやいた。いや、もしかしたらはっきりそういったかもしれない。

 とはいえ私ほどの雨女はいない。何回も上空を通るのに富士山がきれいにみえたのは1、2回。妹は富士山というのは必ず見えるものだという。代々木病院の医局旅行で八丈島に行ったときは嵐で飛行機が飛ばず、月曜日の外来に帰れなかった(本心は喜んだ?)。また、代々木病院の健康まつりを鳩森小学校でやれるようになった年、台風の直撃で中止。地元に住んでいるので朝から出かけたが、帰りは電車がとまり強風と雨の中を歩いて帰った。その後ながいこと長靴でこすれた足の傷が痛んだ。はたがや協立診療所での第1回目の学習会は大雪。このためというわけではないが、学習会はいつの間にか立ち消えた。週に3日の自転車での往診は、水曜日は台風、木曜日はにわか雨と相場が決まっている。ほんの5分くらいの間にみるみる真っ暗になり、雷と豪雨のなかを帰り着いた日もあった。

 でも確かに今までの生活を考えたら自分でも運がいいと思うことは多い。(佐藤先生の運とはくらべものにはならないけど)。学校は自分の行きたいところにいけた。私はのんきに成績だけがいけるかどうかの問題だと思っていたが、高校のときは学校区や金銭的なこともあったらしく、母はそのことで必死に奔走してくれた。ぎりぎりのところで学校区の見通しがついたことがよほど印象に残っているのか、今でもそのことを繰り返し話してくれる。大学は第2希望だったとはいえ、その道がなければ民医連という私の人生はなかった。

 2000年12月1日が誕生日の「はたがや協立診療所」もなかなかの運に恵まれている。まず、商店街に面していて間口も広いからか、人が吸い込まれるように入ってくる。よく薬局と間違われ、処方箋を出されることがある。トイレに入ってくる人もいる。渋谷区医師会には、入れてもらえただけでなく、理事にも誘ってくださった。私がくたびれかけたころパートの先生がみつかり(それも専門は私が苦手な糖尿病)、一息つけるようになった。協同組合「医療と福祉」にも入れてもらえたし……? 代々木病院との連携や地域の公的施設・訪問看護ステーションやヘルパーステーションとの連携もスムーズで、病気の見立てもいい。看護師さんたちのフットワークも抜群で患者さんたちに喜ばれている(自画自賛)。運のおかげという私に「スタッフの頑張りよ!」とまわりから喝が入った。

 今年の診療所の健康まつりは台風一過、それも首都圏を直撃した22号が通り過ぎた青空のもと、といいたいところ、曇り空。でもやっぱり、診療所は運がいい。歩む会はじめ共催団体の皆様、スタッフの皆様お疲れ様でした。




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