心の健康診断
――去年1年間の自殺者は34427人、過去最悪の記録を更新しました。自殺者数が3万人を超えるのはこれで6年連続です。1日に100人近くが自殺する日本は世界有数の自殺大国です。
また、全日本民医連共済がまとめた過去9年間の職員の死亡統計では、がん50%、自殺15%、脳血管障害12%、心疾患8%、その他15%となっており、職域のメンタルヘルスの問題は民医連にとっても大きな課題になっています。
天笠先生は「労働ストレスと主観的QOL及びうつ因子との関連性」という研究を行い、それが社会医学会・学会奨励賞を受賞しました。この研究を始めるきっかけは何だったのでしょうか。
★私のそもそもの研究テーマは過労自殺の解明と予防です。過労自殺はなぜ起きるのか。その「なぜ」がわかれば、過労自殺が防げるのではないかということを社会医学的なスタンスで研究したい。
過労自殺の一歩手前が精神疾患であり、精神疾患の中でも職域で多いのがうつ病とアルコール依存症です。うつ病やアルコール依存症そのものをどうこうしようと思ってもなかなか難しい問題ですが、うつ病やアルコール依存症になる手前で操作できるものが見つかれば、それを操作することによって結果を変えることができます。
今回の研究のきっかけになったのは、ある事業所からの相談でした。1999年の春、私は当時、みさと協立病院に勤務していたんですが、事務系職員を中心にした200名あまりの民主的経営の事業所から、「体の健康診断と同じように、心の健康診断ができないか」という相談があったのです。その事業所では、顧客から多数の自殺者が出たこと、また職員も精神疾患にかかって職場を休む、あるいは精神科を受診するという人が目立つようになったことから、職域のメンタルヘルスケアに取り組むことが必要だと判断したわけです。
それほどお付き合いがあったわけでもないみさと協立病院に要請してくるということは、よっぽどの思いがあると私は直感的に感じ、何ができるかわからないけれども、応えたいと思いました。
そこで、総務の方と何回か話し合いをもち、99年12月、職員に質問調査用紙に記入してもらう方法で「心の健康診断」を実施しました。これが第1回で、以降毎年取り組むようになりました。
とはいえ、当時は、職域のメンタルヘルスに取り組んでいる事業所はまだまだ少なく、この方法が有効であるかどうかは不明でした。ですから、そういう取り組みをすることが職員の精神的健康を高めるのではないかという仮説のもとに始めたわけで、そういう位置づけのものであるということは事業所にもご理解いただきました。
――調査項目は共同作業でつくったのですか?
★項目の半分は、過労死研究の第一人者である上畑鉄之丞先生たちが、過労死の原因を解明したいということで3万人以上の労働者を対象に実施した「ストレス総合調査」からお借りしました。あとの半分は、私としては過労自殺を意識していますので、精神状態が悪いことをスクリーニングできるような調査項目を加えました。それを総務部の方に渡して、言葉遣いを若干修正したり、総務部のほうで聞いてみたい項目を付け加えたりして作成しました。ですから、「共同の一歩手前」といったところでしょうか。
――そういう調査用紙を作成したのは、みさと協立病院では初めてですか?
★はい。「こんなお金にもならない、やっかいなことに取り組んで」といった雰囲気もありましたが、私としては何とか応えたいと思ったわけです。これがきっかけでもっと深めたいと思い、京都大学医学部大学院に進みました。そして、事業所の了解を得てこのデータを医療統計学の手法を用いて解析し、その結果を去年7月の社会医学会に発表しました。それが今年の7月に学会奨励賞を受賞することになり、微々たる力ながら職域のメンタルヘルスの取り組みに一石を投じられたのではないかと思っています。
その事業所には「心の健康診断」のほかにも、メンタルヘルスについての講演、「心の健康診断」の集団結果返し、ストレス教室、酒害教室を提供しました。修士論文がそれらの効果評価です。
労働ストレスの悪玉度が強まっている!?
――データを解析した結果、どんなことが解明できましたか。
★過労自殺が社会問題化するとともに、職域でのメンタルヘルス対策が課題になっていますが、労働ストレスと精神健康(主観的QOL)の関連性について解明しようとした研究はほとんどありません。そこで、99年以来取り組んできた「心の健康診断」のデータをもとに、特に労働時間を含んだ労働ストレスと労働者の主観的QOL及びうつ因子との関連性について解明しようと思ったのです。
医療統計学を使って関連性の解明を試みた結果、週間労働時間が20時間増えるごとのオッズ比(うつ因子に対する労働時間のオッズ比)は3倍になるという結果が出ました。つまり、長時間労働になるほど精神健康が悪化し、うつ状態が発生してくるということです。これはある程度予測のついたことですが、統計手法を使ってそれを解明することができました。
しかし、これには反論が成立するんです。政府統計によって80年代と90年代の労働時間を比較すると、90年代のほうが減っているんです。学習会で労働時間の推移のグラフを見せたところ、ある参加者から「自分の感覚でも、80年代のほうが長時間労働だったと思う。今のほうが労働時間は減っているのに、なぜうつ病は増えているのですか」と質問されました。なぜだと思いますか?
――サービス残業が増え、労働時間の実態が見えにくくなったとか。
それも一つのファクターでしょうが、さらに重要なことは、単位労働時間当たりの労働ストレスの質が違っているのではないかという点です。そこで「心の健康診断」では、仕事がきついかきつくないかなど、本人が自分の労働をどうとらえているかを記入してもらう項目もつくりました。これを質的労働ストレス、あるいは主観的労働ストレスといいます。
この研究データから解析したわけではありませんが、予測がついたことは、労働ストレスの質、つまり悪玉度が強まっているということです。労働時間とうつ因子との関連性は20時間増えるごとにどんどん強くなる。しかし、労働時間は政府統計で減っている。なのに、うつ病が増えていることは政府の患者調査ではっきりしている。ということは、単位時間当たりの労働ストレスが増えている、つまり、労働ストレスの悪玉度が上がったからに違いないということが予測されるわけです。しかし、これを直接証明するような研究は今のところまだありません。
より質の高いものを提供したい
――「心の健康診断」をやって、成果はありましたか。
★2年目以降からは、質問項目に「心の健康診断をご存知ですか」とか「受けて変化がありましたか」といった項目を付け加えました。「変化があったか」という項目の中には、メンタルヘルスの知識と自分自身の行動面や暮らしの組み立ての面、仕事への取り組みの面に変化が感じられたかという項目を入れました。
その結果によると、多くの方がメンタルヘルスの知識については大変役に立ったと書いています。しかし、行動面ではあまり変化がない人が多いようです。自分の日常生活を振り返るきっかけになって、「心の健康診断」が始まる前に比べると生活パターンが変わったと答えてくれた人は1割ぐらいいましたが、多くの人は、行動面、生活習慣面を変えるところまでは行っていませんでした。「心の健康診断」だけでは限界があります。
――これからやっていきたいことは?
★民医連としても、職員の健康、その中でも特に今焦点の当たっている精神的健康を守ろう、高めようということで、職域のメンタルヘルスの取り組みが始まっています。具体的には、東京民医連のモデル事業として立川相互病院の看護師集団が引き受けてくださり、12月から調査が始まります。
職域のメンタルヘルスについては、国からパンフレットが出ていますので、それを東京民医連が各院所に配布し、そのパンフレットに基づいて到達状況をアンケート調査しました。結果は惨憺たるものでした。そもそも回収率が非常に悪かった。これは、書くことに意義が見出せないという認識だとも解釈できるし、書くだけのゆとりがないほど現場がひどい労働になっているとも解釈できます。
回答してきた院所は、自分の所はそんなにひどくないという認識で回答してきた確率が高いと思うのですが、それでも惨憺たる内容でした。たとえば労働安全衛生法では、職員数が50人以上であれば衛生管理者を置き、それを労基署に届けることが決められています。それが、まず衛生管理者を置いていない事業所があったことと、置いていても労基署に届けていない院所がほとんどでした。ですから、二重の意味で惨憺たる結果だったわけです。
民医連綱領には、労働者の健康を守ることがうたってありますが、お膝元の自分たちの職員の健康を守るというスタンスが、しかも政府が出している到達にすら達していなかったということがわかったのです。ただし、民医連は36協定が締結されていて、それを守ろうというスタンスはしっかり持っているし、労働条件という点ではいい。それと、心の健康を守ろうとなったときに職員の団結がありますから、成果は出しやすいと思います。潜在的能力は秘めているけれど、眠らせたままだったということだと思います。
今後の取り組みについては、自分のこれまでの経験を生かして、研究面でより価値のあるものを、実践面でもより質の高いものを提供していきたいと思います。
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