私はベースボールが大好きだ。見るのもやるのも。三角ベースボール(2塁がない)から始まって中学・高校と野球づけ、六大学野球をみたくて東京へ進学、アルバイト先は後楽園球場。
野球に熱中してきたのは長嶋茂雄の存在だ。
長島に惹かれる理由は、チャンスには無類の勝負強さを発揮すること、ダイナミックな守備。また、「アメリカの子供は英語がうまいな、それにしても外車が多くてびっくり」など、ほのぼのとした人間性からだった。
その長島茂雄氏が入院し、連日のマスコミ報道を注視している。長島氏も年だなと感ずるが自分とて同じことだ。そんなわけで、長島氏の存在感の大きさは何に起因するのか考えてみた。
結論は、それは長島茂雄の「決断の早さ」と「結果の意外性」、ここに落ち着いた。いわゆるある種の尊敬と揶揄の両面からの「カンピューター」の存在だ。
氏の業界は、クリアーな評価基準で偶然性が入り込む余地が少なく、卓越した能力を持つ天才達が、毎日毎日ぎりぎりの競争を演じながらわかりやすい勝負結果を突きつけている世界である。日常不断に「自身を磨き正気」を追求していなければすぐに忘れ去られる。氏はこの「瞬時の判断」のために備えて「自分を磨いている」という点だ。
自分の過去は「あのときああしておけば良かった」の連続である。しかしあの段階で、「3日3晩寝ずに考え」て何回判断しても、100%同じことをしたと思われる。
自らが遭遇する出来事は自らの力量にマッチしており、その際の判断は、それまで蓄積・凝縮させてきた自分自身の「直カン」で、切り分けられているのではないだろうか。
「長島倒れる」との報道を通じ、より豊かに過ごすため、「直カン」を磨く努力をしなくてはならないことを痛切に感じた。
長島氏が、「ヨーグルトの銘柄は何」とかいいつつ、いっぱい食べて、「やあ心配かけたね」と元気にマスコミに登場する日が待ち遠しい。(い)
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